日本における韓国語教育、そして学会創立までの道のり

1970年代~創設期

 1976年 4月、上智大学大学院文学研究科外国語学部に初めて韓国語講座が開設され、柳尚煕教授が韓国人として初めて文科省の専任講師の認可を受けて赴任しました。また柳先生のご夫人であられる呉英元先生も二松学舎大学の韓国語担当の専任教授となられました。1979 年5 月には駐日韓国文化院が開設され、9 月から韓国語の講座が開講されることになりました。初代韓国語講師として呉英元先生、李辰燮先生、宋敏先生が担当されました。
 1979 年10 月9 日、「ハングルの日」 を記念して、柳先生を中心に韓国語教育に携わる有志が集い、「韓国国語教育研究会日本支会」を発足させました。

セミナーを伝える
「韓国文化院 友のニュース」

1980 年代~発展期

 1982 年 1 月 30 日、第 1 回韓国国語教育研究会日本支会の主催で、韓国から 韓国国語教育研究会会長の李應百ソウル大学教授を迎え、「日本における韓国語教育セミナー」を開きました。
 1984 年4 月 に NHK ハングル講座が始まり、1988 年にはソウルオリンピックが開催されました。80 年代に入ってからの日韓両国に対する関心が高まることによって、両国を往来する 観光客も大幅に増え、企業の進出や留学生の就学が活発になり、大学における韓国語科目も増え続ける状況に置かれました。

呉英元先生による東京女子大学での韓国語授業風景。1988年頃

1990年代~成長期

 1990 年代に入ると、日本全国の各大学に学科の新設や講座の多様化が進められるようになりました。
「韓国国語教育研究会日本支会」は、研究者や受講者のニーズに応えて研究討論会や教材の情報交換など交流の場を設け、 それから毎年「韓国語教育シンポジウム」を開催しました。1997年には名称を「韓国語教育研究会」と改称しました。
 1998 年6 月、金大中大統領訪日のときに発表された韓国における日本文化の開放政策によって、韓国の映画、演劇、音楽、展示会などの輝かしい活動とともに日韓文化交流が盛んになりました。

1996年の韓国語教育シンポジウムにて。左から2番目は李應百先生、中央が柳尙熙先生、その右が梅田博之先生

2000年代~盛況期

 2002年のサッカーワールドカップ韓日共催大会もあって、韓国に対する関心がさらに増えて行きました。 2000 年6 月現在、日本における全国 622 大学のうち161 校が韓国語と韓国関連講座を実施していました。2002年度から大学入試センター試験に外国語科目として韓国語が導入されることになり、ソウル大学と東京大学がそれぞれ日本学・韓国学課程を開設することを決めた政策の一環で、日韓文化交流とともに学界における新しい学問の発展をもたらすことができました。また、2002 年のドラマ「冬のソナタ」や2003 年の「チャングムの誓い」で韓国のドラマや映画の人気が「韓流」ブームの熱風を巻き起こすことによって、韓国の映画や音楽などが日本に大量に紹介されます。
 韓国語教育研究会を発展させ27年間活動して来た柳尚煕会長は、病に侵され、2007年に天に召されました。

2001年のシンポジウムの資料

日本韓国語教育学会発足

 呉英元先生は研究会を引き継いでくれる適任者を探している中、当時韓国語の学会の構想を持っていらした岩手県立大学の姜奉植先生が研究会を引き継ぐ形で「日本韓国語教育学会」を創立することになりました。実は2005年に姜奉植先生は、柳尚煕先生を岩手に招き学会創立の意見を伺っていました。また2008~09年には외솔会長の崔起鎬先生とも学会創立の準備をすすめていました。
 2009年4月27日、姜奉植先生、呉英元先生、崔起鎬先生など十数名が学会創立のための集い(日本での韓国語教育の集い)を駐日韓国文化院で持ち、2009年9月に「日本韓国語教育学会」が発足しました。 2010 年11 月13~14 日、「日本韓国語教育学会」創立記念国際学術大会を岩手県立大学で盛大に行いました。